嶌田井書店

風の通る或る町に、稀にしか辿り着けない書店がある。

葵夏葉『自選詩集 死にたくなるほど優しい夜に』

文フリ東京で入手した『自選詩集 死にたくなるほど優しい夜に』を読んだ。

 

この作者の作品は初めて読んだと思うが、とても知的な作風である。言葉遊びのようなものもあるし、また、リフレインや対句など、技巧的なところも見られる。

 

他方で、五感に訴えてくるところもある。視覚だけでなく、触覚や、嗅覚まで。それはきっと、遠い記憶を呼び覚ますような詩なのだ。

 

特に好きだったのは「海馬」。

 

(篠田くらげ)

京都旅行記・金閣寺

 

京都で「この寺に行くべきだ」という寺がどこなのかわからないが、「この寺が一番派手だ」という寺ならすぐに思いつける。金閣寺だ。正式には鹿苑寺金閣という。


バスを降り、ちょっとした坂道を登れば、そこが金閣寺である。入るとちょっとした森っぽくなっていて、期待を高めてくれる。それからチケットを買うことになるのだが、よく見ていただきたい、チケットがお札のようになっている。珍しいので取っておこう。


さて、チケットを買って入場すると、驚くほどあっけなく金閣が現れる。あの、教科書に載っている、絵葉書で見る、あの金閣だ。あまりにあっさり見られるので拍子抜けするほどである。この一帯は大変にぎやかで、「あの教科書の写真」を取ろうとする人でいつもあふれている。


日本語、韓国語、英語、フランス語、そのほか知らない言葉まで、あちこちの国から訪ねてきたらしい人がいる。ここで「あの写真」を撮るのもいいが、金閣寺の魅力はそれだけではない。


さらに進んでいくと、庭園としての素晴らしさも他の寺にひけをとらないことがわかる。「登竜門」を模した滝や、茶室もある。私は金閣寺の本領はこの庭園にあると思うが、そのほか、高台からの金閣なども見られる。「修学旅行で見たからもういいや」と思わず、ぜひ行って自分の好きな金閣像を目に焼き付けてきてほしい。

 

 

f:id:shimadaishoten:20161209224336j:plain(雪の金閣。レアなので混む)

 

(篠田くらげ)

京都旅行記・清水寺

早速京都に向かう。京都はいつでも観光客の絶えない街である。その中でも特に修学旅行のメッカと言うべき場所が清水寺である。訪れてみなくてはなるまい。

 

清水寺は坂の上にある寺である。観光客向けのソフトクリームや八つ橋が売られているのを見ながら、えっちらおっちらと坂を上っていくと、真っ赤な門や塔が見える。寺と言うには少々派手な気もするが、あれが清水寺入口(?)である。清水寺は坂の多い寺であるが、修学旅行生たちはさすがに息を切らした様子もなく、楽しげに登っていく。そこを抜けると、あの「清水の舞台」がある。

 

下をのぞいてみて、高いと感じるか、低いと感じるか。よく見ておいてほしい。とにかく景色がよいので、十分堪能して戴ければと思う。ここで写真をとる人が多いが、私のおすすめは、舞台を抜けてむしろ舞台を撮影するように撮ることである。舞台の高さを感じることができるだろう。

 

それからさらに歩いていくと、今度は清水寺の由来となった小さな滝があり、そのあたりからは下から舞台を見上げることができる。上から見たときとずいぶん印象が違うと思う。舞台の木の組み方なども見ることができるのでぜひご覧戴きたい。

 

最後に、清水寺坂上田村麻呂ゆかりの寺である。そのゆえか、当時の蝦夷の首領の碑がそこに立っている。軽く挨拶をして帰ることにしよう。

 

写真は清水の舞台遠景。この日は工事中だった。

 

(篠田くらげ)

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祇園祭

本記事は、第二十三回文学フリマ東京にて配布したフリーペーパーに収録したものです。

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ようこそ京都へ。とはいえ私は京都出身ではない。この町に5年住んでいる、観光客とも住人とも呼べない人間だ。ちなみに京都の住人になるには100年ではきかないとか。

 

 私がこの町にやってきたのは仕事を始めてからになる。いわゆる転勤だ。「京都で1年営業できれば日本のどこに行っても仕事ができる」と言われるが、仕事は厳しいものの、京都の伝統に触れることができるのは大きな喜びだ。では、祇園祭をご案内する。

 

 かららんころろん、かんころろん。これが祇園祭の拍子だ。7月になると京都のあちこちでこの音が聞こえはじめる。とはいえ、それぞれの鉾(山車みたいなもの)は保存会を持っていて、拍子を、つまり演奏を毎週のように練習している。だから保存会の場所さえ知っていればいつでも拍子を聞くことはできる。とはいえやっぱり祇園祭の本番が夏であることは確かである。

 

 山車のような形をした「鉾」は何日もかけて建てられ、解体されるから、7月中は祇園祭だと考えてよい。宵山だけが祇園祭であるわけではない。建てられる様子を見ながら「今年もそろそろ祇園祭か」と思うのは京都の夏の風物詩である。

 

 さて、宵山である。宵山というのは巨大な縁日と考えればよいであろう。普段メインストリートになっている烏丸通四条通歩行者天国になるのは壮観だ。道路の真ん中にでて写真を撮るのもいい……が、ちょっと混雑が過ぎるだろうか。この日はあまりにも混雑するので、歩くのは大変だ。はっきり申し上げてデートには向かないので、私のようにデートの相手がいない人間でも安心である。前述した鉾の保存会も店を出していて、グッズを買うことができる。私はふだん使いの扇子を買った。暑い京都にはちょうどいい。

 

 宵山の日は昼間から例の「かんころろん」が響いて仕事にならない。「やる気でないっすね」「今日は無理やな、お客さんも同じやし、まあのんびりやり」という会話を毎年するものだ。

 

 それから山鉾巡行。「鉾」と一口に言ったものの、実は「鉾」と「山」に分かれる。長刀鉾、函谷鉾、蟷螂山、占出山……、色々あるが、鉾の方が高さがあって派手と考えておけばいい。特に長刀鉾は壮観だ。私も初めて見たときはとにかく圧倒されたものだ。これらが練り歩くのが山鉾巡行。もちろん道路は通行止め、道には人が並んで写真を撮ろうとしているから、住んでいる人にとってはやや迷惑な日である。といっても来た年は私も写真を撮ったけれど。

 

 ちなみに祇園祭は八坂神社のお祭りである。聞くところによると始まったのは西暦869年(貞観11年)。疫病退散を祈願したものとされる。1000年を超える歴史があるのだ。さすが京都、伊達ではない。

 

 これが祇園祭である。私が最後に言いたいのは、祇園祭は特別なことではないということだ。生活の中にある。仕事をしながら拍子を聞き、夕飯代わりに宵山の焼きそばを食べる。それが祇園祭だ。ぜひ一度、いらしてください。

 

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祇園祭の菊水鉾)

 

(篠田くらげ)

リトルインディアへ(2)

「あなたの毎日に、旅はあるか。」

そんなコピーを冠したフリーペーパーを、2016年11月に開催された第二十三回文学フリマ東京で配布いたしました。そのエッセイの続編を今回よりお届けいたします。どうぞお楽しみに。

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リトルインディア駅からバッファローロードへ

 

 空はまだ完全に太陽の光を失ったわけではなかった。この国では夜七時を過ぎても薄明るく、熱帯雨林特有の熱気に覆われている。 わたしは、リトルインディアにやってきていた。 目当てはヒンドゥー教徒にとって最も重要な行事 「ディーパバリ」のためにライトアップされたセラングーンロードだ。今年のディーパバリは十月二十九日(火)。 リトルインディアのセラングーンロードがきらびやかな電飾に包まれる一か月となった。今日はまだ十月に入って一週目。しかしもうまるでクリスマスにも似た賑わいだ。

 

 まずリトルインディア駅で降りる。シンガポールは公共交通機関が発達していて、地下鉄(MRT)での移動が便利だ。駅構内はランプをモチーフにしたディスプレイで溢れていた。まずここからテンションが上がる。出口Eから出ると、バッファローロードへと入る。ここはメインストリートへと入る脇道なので人の通りは少ない。歩道の左わきには八百屋、献花用の花を売る屋台、ミニマート(東南アジア版のコンビニ)がずらりと並んでいる。ヒンドゥー教寺院が近くにいくつかあるせいか花屋は繁盛しているようで、通りはジャスミンの花の香りで満ちている。かと思うと、インセンスと香辛料と生ごみの混ざった香りが鼻先をかすめ、このリトルインディアがヒンドゥー教徒の生活を支えているのだと教えてくれる。信仰、食料、衣料、生活用品。ここは彼らの心臓であり胃袋なのだ。

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 (リトルインディア駅の構内)

 

 シンガポールは平和だ。リトルインディアはアラブ街からもチャイナタウンからもさほど離れてはおらず、この国は多民族国家として機能している。夜でも強盗に襲われたり身の危険を感じたりすることはまずない。しかしこのバッファローロードから目と鼻の先で三年ほど前には実に四十年ぶりに暴動事件が起きているのだ。三百人余りの海外労働者が関与していると言われているが、理由は日頃の低待遇への不満が爆発したと囁かれている。故郷から遠く離れたシンガポールで、重労働の果てに週一回の休みは良いとしても、裏では人間らしい暮らしや待遇を保証されていない可能性が高いだけに心が痛む。この地は、べらぼうな資産を持つ富裕層と故郷に錦を飾るためにやってくる海外労働者の所得の差が激しい。しかし彼らの台所を支えるのはこのリトルインディアなのだ。光と闇が拮抗する街リトルインディア。ジャスミンとインセンスと生ごみの香りが、わたしをどこか遠くへと誘っているような気がした。

 

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 バッファローロードの商店)

 

文:河嶌レイ