祇園祭
本記事は、第二十三回文学フリマ東京にて配布したフリーペーパーに収録したものです。
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ようこそ京都へ。とはいえ私は京都出身ではない。この町に5年住んでいる、観光客とも住人とも呼べない人間だ。ちなみに京都の住人になるには100年ではきかないとか。
私がこの町にやってきたのは仕事を始めてからになる。いわゆる転勤だ。「京都で1年営業できれば日本のどこに行っても仕事ができる」と言われるが、仕事は厳しいものの、京都の伝統に触れることができるのは大きな喜びだ。では、祇園祭をご案内する。
かららんころろん、かんころろん。これが祇園祭の拍子だ。7月になると京都のあちこちでこの音が聞こえはじめる。とはいえ、それぞれの鉾(山車みたいなもの)は保存会を持っていて、拍子を、つまり演奏を毎週のように練習している。だから保存会の場所さえ知っていればいつでも拍子を聞くことはできる。とはいえやっぱり祇園祭の本番が夏であることは確かである。
山車のような形をした「鉾」は何日もかけて建てられ、解体されるから、7月中は祇園祭だと考えてよい。宵山だけが祇園祭であるわけではない。建てられる様子を見ながら「今年もそろそろ祇園祭か」と思うのは京都の夏の風物詩である。
さて、宵山である。宵山というのは巨大な縁日と考えればよいであろう。普段メインストリートになっている烏丸通・四条通が歩行者天国になるのは壮観だ。道路の真ん中にでて写真を撮るのもいい……が、ちょっと混雑が過ぎるだろうか。この日はあまりにも混雑するので、歩くのは大変だ。はっきり申し上げてデートには向かないので、私のようにデートの相手がいない人間でも安心である。前述した鉾の保存会も店を出していて、グッズを買うことができる。私はふだん使いの扇子を買った。暑い京都にはちょうどいい。
宵山の日は昼間から例の「かんころろん」が響いて仕事にならない。「やる気でないっすね」「今日は無理やな、お客さんも同じやし、まあのんびりやり」という会話を毎年するものだ。
それから山鉾巡行。「鉾」と一口に言ったものの、実は「鉾」と「山」に分かれる。長刀鉾、函谷鉾、蟷螂山、占出山……、色々あるが、鉾の方が高さがあって派手と考えておけばいい。特に長刀鉾は壮観だ。私も初めて見たときはとにかく圧倒されたものだ。これらが練り歩くのが山鉾巡行。もちろん道路は通行止め、道には人が並んで写真を撮ろうとしているから、住んでいる人にとってはやや迷惑な日である。といっても来た年は私も写真を撮ったけれど。
ちなみに祇園祭は八坂神社のお祭りである。聞くところによると始まったのは西暦869年(貞観11年)。疫病退散を祈願したものとされる。1000年を超える歴史があるのだ。さすが京都、伊達ではない。
これが祇園祭である。私が最後に言いたいのは、祇園祭は特別なことではないということだ。生活の中にある。仕事をしながら拍子を聞き、夕飯代わりに宵山の焼きそばを食べる。それが祇園祭だ。ぜひ一度、いらしてください。
(祇園祭の菊水鉾)
(篠田くらげ)
リトルインディアへ(2)
「あなたの毎日に、旅はあるか。」
そんなコピーを冠したフリーペーパーを、2016年11月に開催された第二十三回文学フリマ東京で配布いたしました。そのエッセイの続編を今回よりお届けいたします。どうぞお楽しみに。
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リトルインディア駅からバッファローロードへ
空はまだ完全に太陽の光を失ったわけではなかった。この国では夜七時を過ぎても薄明るく、熱帯雨林特有の熱気に覆われている。 わたしは、リトルインディアにやってきていた。 目当てはヒンドゥー教徒にとって最も重要な行事 「ディーパバリ」のためにライトアップされたセラングーンロードだ。今年のディーパバリは十月二十九日(火)。 リトルインディアのセラングーンロードがきらびやかな電飾に包まれる一か月となった。今日はまだ十月に入って一週目。しかしもうまるでクリスマスにも似た賑わいだ。
まずリトルインディア駅で降りる。シンガポールは公共交通機関が発達していて、地下鉄(MRT)での移動が便利だ。駅構内はランプをモチーフにしたディスプレイで溢れていた。まずここからテンションが上がる。出口Eから出ると、バッファローロードへと入る。ここはメインストリートへと入る脇道なので人の通りは少ない。歩道の左わきには八百屋、献花用の花を売る屋台、ミニマート(東南アジア版のコンビニ)がずらりと並んでいる。ヒンドゥー教寺院が近くにいくつかあるせいか花屋は繁盛しているようで、通りはジャスミンの花の香りで満ちている。かと思うと、インセンスと香辛料と生ごみの混ざった香りが鼻先をかすめ、このリトルインディアがヒンドゥー教徒の生活を支えているのだと教えてくれる。信仰、食料、衣料、生活用品。ここは彼らの心臓であり胃袋なのだ。
(リトルインディア駅の構内)
シンガポールは平和だ。リトルインディアはアラブ街からもチャイナタウンからもさほど離れてはおらず、この国は多民族国家として機能している。夜でも強盗に襲われたり身の危険を感じたりすることはまずない。しかしこのバッファローロードから目と鼻の先で三年ほど前には実に四十年ぶりに暴動事件が起きているのだ。三百人余りの海外労働者が関与していると言われているが、理由は日頃の低待遇への不満が爆発したと囁かれている。故郷から遠く離れたシンガポールで、重労働の果てに週一回の休みは良いとしても、裏では人間らしい暮らしや待遇を保証されていない可能性が高いだけに心が痛む。この地は、べらぼうな資産を持つ富裕層と故郷に錦を飾るためにやってくる海外労働者の所得の差が激しい。しかし彼らの台所を支えるのはこのリトルインディアなのだ。光と闇が拮抗する街リトルインディア。ジャスミンとインセンスと生ごみの香りが、わたしをどこか遠くへと誘っているような気がした。
(バッファローロードの商店)
文:河嶌レイ
リトルインディアへ(1)
リトルインディアへ
シンガポールの雨は気まぐれだ。そして怒りっぽい。朝には爽やかな顔をしているくせに、午後になるとだんだんと気難しくなり、いきなり雷を呼んだり激しく雨を降らせたりする。小一時間ほど人々をずぶ濡れにするとすっきりするのか、ケロッとまた機嫌を直したりするのだ。日本で言えば「集中豪雨」のような雨も、熱帯雨林の島から見れば毎日のことで、はた迷惑な洪水もここ最近は起きておらず、天候的には恵まれているのではないだろうかとさえ思う。それもひとえにシンガポールのインフラが充実しているからで、どのバス停にも屋根が付いているし、地下街も発達しているので、雨を避ける方法などはいくらでもあるのだ。要は、雨は窓の外に降るからこそメランコリーを感じるものなのだ。
十月に入ると雨季が近いせいか、雷を伴う雨がより一層多くなる。そしてそのころに、ヒンドゥー教徒にとって最も重要な行事、「ディーパバリ」がやってくる。新聞にはランプをモチーフにしたデザインの広告が溢れ、スーパーやデパートは一大セールを強調する。ディーパバリは「光の祭典」と呼ばれ、ヒンドゥー教徒にとってはいわゆるお正月のようなもの。服や家電などを新調したり、家を大掃除したり、オイルランプや電飾で飾り付けてこの日を迎えるのだ。中国系、マレー系、インド系、その他で構成されるシンガポール人の民族比率においてインド系は一割にも満たないが、中国系にとっての旧正月やイスラム教の断食明け、クリスマスの他に、このディーパバリも国民の休日に定められている。今年のヒンドゥー暦によると、ディーパバリは十月二十九日。さて、そういえばしばらくリトルインディアに足を運んでいなかったなとふと思う。
よくよく考えると、この国で暮らし始めてもう六年になろうとしている。シングリッシュと呼ばれるシンガポール訛りの英語にも慣れてきた。華僑がもたらした海南鶏飯(チキンライス)もラクサも心からおいしいと思う。ナシレマのように、辛いチリペーストやコクのあるココナッツミルクを多用するマレー系の食事も、なぜかわたしにとっては馴染みやすかった。シンガポールはアジアのハブとでもいうのか、アジア各国の食文化が集まっていて、「ここはアジアの大家族」、そんな感じがするのだ。しかしふと思うと、そういえば外出したときにあえてインド料理にはあまり手を出していなかったたことに気づく。さて、なぜだろう。
(ディーパバリの電飾で飾られたサラングーンロード)
インド系のひとたちとの交流がないわけではなかった。現にインド系シンガポール人の女性や、永住権を得たのちに、シンガポールに帰化した北インド出身の家族とも懇意にしている。にもかかわらず、わたしはリトルインディアには二回しか行ったことがなかった。彼らに招待されて口にしたインド料理はどれもおいしく、珍しいスパイスや材料などは、ほぼリトルインディアで手に入れられたものだった。近所のスーパーでは欲しいものは売っていないか、種類に乏しいのだろう。彼女らにあれほど勧められたギー(バターオイル)やスパイシーピーナッツも、リトルインディアに行けば、オーガニックなものを選べるだろうか?もうすぐディーパバリじゃないか。夜のライトアップもまだ見たことがないし、そうだリトルインディアへ行こう。そうわたしは決めた。
文:河嶌レイ
(この記事は、2016年11月23日に開催された第二十三回文学フリマ東京で配布したフリーペーパーの内容と同じものです)
豆崎豆太『我ら北高推理研究愛好会(非公認)!』
よく、文学賞の落選理由などで「人間が描けていない」などと言われることがある。あるらしい。馬鹿げた話だと思う。人間を描くとは何なのか。
豆崎豆太の書く人間たちが変わり者であることは、読んでみればわかる、と私は思う。かつて『異邦人』のどこが不条理なのかわからなくて頭を抱えた私であるが、作者の描く人間は確かに変わっている。変わっているが、人間である。
本書はその作者のミステリ小説である。物語は、高校生の失踪事件を、同じく高校生の「北高推理研究愛好会」のメンバーが解決しようとするところから始まる。状況の確認、推理、転回、結末。このあたりは作者のミステリ作家としての実力を十分に感じることができる。
しかし、作者のファンであるならば、推理の部分だけではなく、作者がどんな人間を描こうとしているかに注目せずにはいられないであろう。そして作者の世界に感嘆せざるを得ないであろう。なぜならば、世界とは結局のところ、人間から見た視界のことに他ならないからである。
では、読み始めるといい。不条理な世界に浸かるために。
作者のファンになってしまうために。
(篠田くらげ)